続、たんぽぽとぼたん
2009.12.17 Thursday
たんぽぽのはなしのつづきからです。
どう不思議な感じがしたのかというと、
なんか僕や嫁さんにかかるストレスというのか、
よくないモノをたんぽぽが吸い取ってくれていたような、
そんな気がとてもする。
子育てのイライラとか、仕事や人間関係のイライラなど。
別になんの証拠もないけれど、
そういうことを感じた。
まあ癒されていたんでしょうね。
八方美人で誰にでもすぐなつくし、
家に来た人や、道であった人に吠え立てるということもあまりなかったが、
制服を着ている人にだけは何故かよく吠えていた。
となりの公園で遊んでいる子供達が「たんぽぽ」と呼ぶと、
横になっていても、のそっーとおきて、
フェンスまで歩いていき、子供達にさわられていた。
僕の顔を見て、「もうええか?」という顔をして。
なんか悟りきっていたような犬だった。

若いときは元気に野山を走り回っていたのに、
12歳を過ぎた頃から、散歩にいってもすぐにかえりたがるようになり、
自分より幼く若いと思っていたたんぽぽが、
いつの間にか自分を追い越して、さきに年老いて行く姿を見て、
時間の感覚というものを疑った、
たんぽぽと自分は別の時間軸で生きているのだということを知らされた。
どうしようもなく違う世界に生きている。
そうおもうとよけいに胸が傷んだ。
どんな犬でもおなじだと思うけど、
老いていく姿を目にするのは辛い。
だけどイヤオウなく、生きているものは必ず年老いる。
ということを突きつけられる。

だんだんと腰が立たなくなっていった。
人間と一緒で寝るときはおむつをするようになり。
ずっと外で飼っていたからそのまま外で寝起きをしていた。
でもそんな日々は3ヶ月も続かなかった。
年が明けて、2月3日の節分は雪が舞う寒い日だった。
その前日の夜、おなかがぱんぱんに腫れて来たので、
近くの獣医さんに行ったら「残念ですが、老衰です」。と言われた。
翌日の朝、たんぽぽは嫁さんに看取られてしずかに息をひきとった。


おおげさな話と思われるかも知れないが、
僕は本当にたんぽぽに会えて良かったと思った。
それだけに悲しかったが、その存在の大きかったことをあらためて感じた。
それと同時に「生き物ってこんなに簡単に死ねるんだ」と知らされた。
何ヶ月も何年も病院に入っていろいろな手当を受け、
生と死の境をさまようことが多い人の死に様とは比較にならないほど、
あっけない最後だった。
獣医さんの診察台で横たわるたんぽぽを写真に撮った時、
最後のお別れをしたように思えた。
春が来て桜が咲き、緑がいっせいに芽を吹き、
外に出てぬるんだ空気を吸うと、心地よい春の夜の匂いがする。
その辺からふらっとたんぽぽが現われて来そう。
いつまでもここにいてほしいと願って、庭に小さな石で塚を作った。











